久しぶりのブログです。
最近は、考えを考えすぎて、ショートぎみでした。
結局は、情熱を持って行動することが大切だと感じてます。
考えをまとめて発信するという行為は、自分にとってもデトックスというか、解毒剤のようなものでもあり、人間のコミュニケーションしたい欲求の強さを感じてます。
テレビでは、オバマ新大統領が、演説してましたね。CNNでも注目の的になっていました。
これだけ世界中で注目され、誰もが話してみたいとおもう人になるのはすごいと思います。
上司が前にはなしていたことで、「世界を変えたいなら、一番確実な方法は、アメリカ合衆国大統領になることだ」って。なるほど、その通りだと思いました。
今日は、出張で新横浜にきてます。
JALのマイスティというサービスを利用して、新横浜プリンスホテルに宿泊しました。
計算方式はよくわかりませんが、ホテル代が2500円くらいで計算されており、朝食付きでこの値段は破格というほかないです。
せっかく新横浜にきたので、ビジネス本にあった本を探しに文教堂と三省堂にいってきました。
購入したいと思った本は、Eyes on Tomorrow,Giants of Japan,Leading Change,失言する人には理由がある
結果は、どれも見つかりませんでした。
発売されてから日のたっているものは、購入が難しいと再認識しました。こういうときには、ネット上の本屋からしか購入できないですよね。。
ちなみにこれだけの長文を書いているのは、キングジムから発売されている「ポメラ」を購入したからです。
メモを書くだけというキワモノガジェットです。
思ったよりもずっしり重量感があって、個人的にはお気に入りです。
気になるのは、1.キーストロークの浅さ、2.キー幅が変則的、3.液晶の位置が低いので、長時間書くと首が痛くなりそう、という3点です。
お気に入りは、1.起動の早さ、2.画面の高いコントラスト、3.外側の質感がよい、4.省エネ、5.使う場所を選ばないこと、でしょうか。
長文におつきあいしていただきありがとうございました。
ウォー・ゲーム
GyaOで映画を見ました。
見た映画は「ウォー・ゲーム(※)」
1983年の映画です。
あらすじはWikiで、内容はGyaOで確認してもらうとして、
コンピューターを完璧だと信じてしまう怖さ、
そして、戦争というものの無意味さ(この時代は米ソ冷戦)
を感じました。
ところどころに出てくる、
主人公のソーシャルハッキングの手口が
ちょっとニヤリとしてしまう
古いけれど面白い映画でした。
・・・
いちばん気に入ったのは、
やっぱりサントリーさんのおかげで
途中でのCMが無いことです。
同じくGyaOの「ワイルド・チェンジ」(こちらは1989年)は、
映画内容は良いのに、あまりにもCMが多くて
途中で辟易しました。
映画はゆっくり楽しみたいものですね。
※ウォー・ゲーム : http://ja.wikipedia.org/wiki/ウォー・ゲーム_(映画)
めざせ!からっぽ。
最近、仕事に追われつつあるので、
ちょっとやり方を見直ししてます。
机の上の片付ける書類を縦置きにして、
空っぽにすることを目指してます。
一週間前から始めたのですが、
机の上の書類の厚さが20cmから5cmに減りました(笑)
すっきりして気分が良いのと、
仕事が進んでいる・・・気がするところが
精神的にいいですね。
同時に心の中の整理をするために、
GTD(Getting Things Done、※)という
ワーキングスタイルを試してます。
簡単に説明すると・・・
■GTDの5つのステップ
ステップ1 収集する : やることを全て書き出す
ステップ2 処理する : やることを仕分ける
ステップ3 整理する : 分類して書き出す
ステップ4 レビューする : 定期的にやることを見直す
ステップ5 実行する : 行動に移す
・・・
というわけで、普通に紙のうえにやることを書き出すという
当たり前のスタイルです。
ただ違うのは、それをどのように考えておこなうべきか
という哲学がしっかりとしているところです。
古典的な考え方がいくつも良いとこ取りしているところも
安心できるところです。
そんなわけで、目指せ!からっぽ。
※wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/Getting_Things_Done
※ITmedia http://www.itmedia.co.jp/bizid/gtd_index.html
存在。
存在意義を問うことは常に繰り返しているけれど、
いつも存在そのものの事実に負けてしまいます。
最近、やっと大人のルールの存在理由が腑に落ちてきました。
それとともに、子供な自分の存在理由を問うようになってきました。
どちらも、既に「存在」するものなのですよね。
こんな当たり前に存在するものの存在理由がわからない自分を
滑稽なものだと思わずにはいられません。
賢い人は、それを直覚できるのだろうけど、
自分はそれを本当に理解していなかったんだなぁと。
ずっと前に考えたか聞いた、「大人のルールの存在理由」は、、、
人は会話する生き物で、会話によって伝えたい。
でも、人に話すということは、断られたり伝わらないという
不確実性を伴う。人は未知や予測できないことに恐怖する。
「あなたに伝えたい。でもあなたは話を聞いてくれる人ですか?」
という問いかけに答えるコミュニケーションなんだと。
それが暗黙であったり、常識であったりする。
・・・
でも、それを理解するには、そのコミュニティと交わり、
存在意義を自覚しないと、本当にわかることは
難しいということなのだなぁ、そんなふうに考えたのです。
そんなことに今頃気付くのは、なぜなのだろうか。
いつも自分を疑っているからなのか。
いつも体験しないとわからないと考え、
失敗するまで理解できないからなのか。
そんな存在に対する問いかけも、
今日という存在が過ぎゆくという事実は変えられないのですね。