知恵の必要性と経済的な貢献って?

今日は、RSSで読んでいなかったブログを総ざらいして、読み漁っていました。
そのなかで「週刊!木村剛」知恵の宝庫『タルムード』をのぞくを読んで、知恵の有効性というか、経済的な面への適用例というか・・そんな印象を持つ記事がありました。

『タルムード』は「人が生きている限り奪えないものがある。それは知恵である」と諭した上で、「知恵は神によって、すでに知識を持っている者に授けられる」と説く。
 自ら経験を積んで「知識」を処世のための「知恵」に変える者のみが、どんなに厳しい環境においても生き残っていけるということを示唆した言葉だ。
 知恵があれば、困難な局面であっても、財産を守ることができる。次のような話もある(マービン・トケイヤー『ユダヤ五〇〇〇年の教え』より抜粋・編集)。
 日本人も、こういう知恵を働かすことができるようになりたいもの。いざとなったらお国は、私たちを守ってくれないのだから……。

特にここ最近は不確実なことが増えています。(・・といって自分がそれほど生きていないため、不確実になったことを体感しているわけではありませんが(笑)、それが当たり前であることを感じているだけでしょう。)
それに対してどのように行動できるか・・・それを確かにするのは、「いかに思考し、知恵を身につけるか」だと思います。
 
最近、勉強の仕方や考え方、哲学における心の語彙といった「メタ*1」な事に対して関心があり、それに関する本を読み・書いてまとめ・議論して知識を深めているところです。
 
実際はもっと前(出来れば中学校・・・)からやっておくべきことだったな。と感じながらの作業ですが、出向して地方に来たおかげでそれに気付く機会をもらえたと思えば、とても良い変化なのでしょう。
 
 
もともと、自分の思考そのものが、非常に拡散的で深さ優先探索な思考回路だったため、思考の後戻りができず再現性もありませんでした。この10ヶ月くらいで、
ロジカルシンキングを学び、マインドマップを使って、自分の思考を再度評価できるようにし、
クリティカルシンキングを学び、本質的な問題を常に考えるような習慣を身につけて、
今は、ダイナミックな変化を読み解くために、システムシンキングを学ぼうとしています。
そういう勉強をしていると、毎日のように思考の火花が散り、自分の価値観を揺さぶるような出来事がそこらじゅうで起こることに気付けるようになりました。
 
それまでありきたりな情報だと感じていた事柄に対しても、自分で考え何が根本にあるのかや、何を考えてこのようにしたのかを思考するだけで、知識を積み重ねることができること。それは新聞やテレビをただ漫然と見ていてはわからないということ、、、情報を収集するだけでは知識にもならないのだということを感じます。
 
実践している人の意見には、そのようなことを感じさせる言葉が多く出てきます。
実際の仕事の中で実行し、ある程度実証された仮説(≒知恵)について話しているのだということ・・・それを感じられるようになったことが成長の実感につながっているのでしょう。
 
最初に戻りますが、経済に関わっている人のお話を読んでいると、自分がそれに対して如何に考えていないか、、いや知らないか、ということに気付かされます。考える力を経済的な貢献へと適用するには、もっと経済を含めた広い視点での情報収集と、お金に対する知識を深める必要があるのかなと思いますね。